伊保庄は小瀬上関往還有数の難所を多く抱えていました。
道中の無事を祈ってか、道中には多くのお地蔵さまが祀られています。そのいずれもが、きれいに維持され、現在も地域の人々に大切に守られていることがわかります。
今回は、「柳井にっぽん晴れ街道ガイドブック」で紹介されている、小瀬上関往還沿いで道行く人を見守るお地蔵様たちを紹介したいと思います。
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高須の大師堂
往還と旭橋に通じる道が交わる場所にあります。南陽第17番札所。昭和40(1965)年に再建されました。
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高須の地蔵と念仏碑
小烏神社一の鳥居の北側にあるお堂に菩薩姿の地蔵と念仏碑が納められています。地蔵は長く地元の厚い信仰を集めていたもので、昭和51(1976)年に旧県道側からここに移されました。お堂は地元の浄財で建立されたものです。
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上浜の地蔵
木造瓦葺の地蔵堂は、大正9(1920)年、大本角次郎さんによって再建されたものです。南陽第16番札所になっています。
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はんにゃ寺一丁
平生町にある般若寺の起点になる場所に建つお地蔵さま。もとは近くの畑にあったものを現在の場所に移設しました。
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赤石地蔵
県道と往還が合流する場所にお堂に納められています。南陽第5番札所。
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上八(こうじょう)の江戸屋地蔵
文化2(1805)年、江戸屋徳左衛門の友人が「もし私が巡礼中に死ぬか帰らなければ、子の地蔵を頼む」と言い残して四国巡礼に出かける前に建立したとされています。毎年8月15日の地蔵盆には接待行事が行われています。
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老猿の岬場地蔵
往還の山の際にあったものを、旧ごみ焼却場ができる際、県道そばに移しました。交通安全のために建てられたと考えられていますが、詳細は不明です。
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老猿の乳地蔵
県道沿いのコンクリートに嵌め込まれた地蔵様です。昔は大変危険な箇所で、崖から落ちて命を落とす人も多かったため、大正初年に交通事故根絶と三界万霊供養にあわせ、乳の出ない婦人のために建立されました。
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小野下の荒神社
県道沿いの消防機庫のそばに、北の山中から降ろしたといわれる役行者の祠と並んであります。五穀豊穣を祈って建立されました。
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小野の河内山神
大内氏家臣を先祖に持つ大内山酒場跡にあります。胡子神の石祠、鎮守神の小石祠、自然石に「三宝荒神」の刻印がある神が祀られています。
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開作の胡子
向田川の河口付近に、自然石をご神体として祀られています。辺りは文化年間(1804~1818)開作築立許可を受け、塩田開作した場所であることから、胡子社もそのころの創建と考えられています。
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近長の地蔵
長年の風雨にさらされ、風化のため顔立ちが良く分からなくなっています。
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岩政の隠居地蔵
向かって左側が岩政隠居、右側が木本家の建立です。当初は別々の場所にありましたが、昭和46(1971)年、道路整備のために移転し、一緒に祀られるようになりました。
参考文献 : 柳井にっぽん晴れ街道